木下たかし

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戦没者追悼式

戦没者追悼式が挙行され追悼の言葉を捧げました。その一節を記します。本日は、多数のご遺族の方々の、ご参加を賜り第41回坂戸市戦没者追悼式を挙行するにあたり、謹んで追悼の言葉を捧げます。(中略)さて、多くの方が読まれております「英霊の言の葉」には、戦争により遺児となり、当時、中学生の文章が掲載されました。そこにはこう書かれております。

僕の父は、僕がまだ生まれていない時、中国で戦死しました。
それで、父も、僕の顔を見ず、僕も父の顔を、写真でしか知らないのです。父がいないため、母は大変苦労をされました。(中略)
 母は、父、亡きあとの負担も多かったのか、病気になり、とうとう肺炎で、昭和二十二年五月十五日に息を引きとりました。この五月十五日は何と不思議なことに僕の誕生日です。生まれながらに父を知らず、母にはわずか十年で死に別れ、僕は何と不幸な宿命をになって、いたのでしょう。母が死んだ後、僕は祖父母のもとで、手伝いを一心にして、やっと中学校の三年生になりました。祖父母のおかげです。 しかし、楽しい時も僕の自慢話をきいてくれる父がいません。悲しい時も、僕を慰めてくれる母がいません。そっと川辺に行き、「お父さあん」「お母さあん」と呼んで、涙が、僕の心をおさえ、言いたいことは、冷たい星空に向かって話しました。「お父さん、お母さん、どうか天から僕をお守り下さい」

  いまの日本という国は、そしてこの繁栄は、このような悲しみを経て成り立っている事を、一時も忘れてはなりません。  終りに、御霊の安らか、ならん事と、戦没者ご遺族の皆様方の平安、ご健勝を心からお祈り申し上げ、追悼のことばといたします。